考動する人へ
自分は結構、あれこれ考えて結局何もしないということが多かった。
今、とりあえず遅ればせながら、少しだけ歩き始めてみて、ああ、動いてみないとわからないことってたくさんあるんだな、と当たり前のことに気づく。
これからは、考えながら歩く、歩きながら考える、ということを習慣化していこう。
あるいは、走りながら、しばらく立ち止まって、また走るというようなスタイルもあるのだろう。
ウサギと亀、肉食と草食、外向きと内向き、色々な喩えがあるけれど、生活をカスタマイズしていくということ。それが自由な時代に生きる僕たちの第一に考えるべきことなのだろう。
何を持つのか。食べるのか。何の仕事をするのか、どういう働き方をするのか。
際限がないほどの選択肢が可視化され、実際に選べるのは唯一の生。
隣の芝生どころでなく、全世界の生活が簡単に垣間見ることができる中で、自分の好きを膨らませて、それを身の回りに配置していくことができれば、きっとお金やステータスに左右されない幸せが実現できるのだろう。
と、考える。さて、どう行動していくのがいいのか。
今の生活の嫌な部分を捨てて、モヤモヤしているところは言語化して検討して、好きなところは伸ばしていって、…という感じかな。
ネットツールも色々あってぐちゃぐちゃしてしまったので、リストラしないと。
まとめて書く場としてはここが一番気に入っているので、これからも細々と続けていきたいけれど、あんまり頻繁には更新できないんじゃないかな。
いまいち人に見せるべく整える場にするか、自分の考えを自分のために可視化する場なのか、位置づけもブレブレなんですよね…
英語リスニングにオンライン素材を活用する。
英語の試験において、リスニングの価値はこれからも高まっていくだろう。
中学生、高校生にとっては、意外と対策がしにくく後手に回りがちなようだが、今は自分が受験を経験した〇年前に比べても格段に素材へとアクセスしやすくなっている。
もちろん、試験に特化した教材でコツコツ勉強するのも悪くないが、他にこういうのもあるというのをいくつか紹介してみたい。
・カーンアカデミー
日本語版もあって、それはそれで質が高いが、その英語版動画がおすすめ。
5分程度の字幕付きの動画で、内容も身近で興味を持ちやすい。
・山ほど音声教材が載ってるサイト
英語教育界では有名なサイトらしいです。
あとオンラインと言うか微妙なところだけど、NHKの英語講座もおすすめです。
アプリで音声が聞けるので、スマホで移動時間とかに聞くのがいいです。
他にも英語学習系のアプリは充実しているので、自分に合ったものを探してみるのもいいかと思います。
ネット環境がいい人は、オンラインで外国人と会話するアプリ・サイトを活用するのもいいでしょう。
youtubeで英語の動画を見て学んでいくのもいいでしょう。
集団、少人数、個別指導について思うこと。
個別指導が一番効率的な学習形態か、というと必ずしもそうとは言えないのではないか、という話。
結論から言うと、自分に合った目標、生徒集団、指導法であるのであれば、少人数(5~10人)のクラスが一番効率的なのではないかと思う。
自分の受験時代に受けていたクラスが丁度それくらいの人数で、予習前提で問題ごとに当てられるスタイルで、しんどい部分もあったが、いい緊張感で効果的に勉強を進めることができた。
ただ、個別に来る子の多くは、集団についていくのが何らかの事情で難しい子たちなので、そういった子は個別で最低数か月間、みっちりと基礎固めをするのがよいだろう。
実は、この仕事を始める前には、集団クラスだと物足りない子が個別指導を受けに来るのではないかと思っていたのだが、これまでの経験上、そういう生徒はそう多くない。冷静に考えるとそういった子は参考書で自学自習をするか、レベルの高いクラスを開講している塾を選んで通うものだった。
30人程度までであれば集団でも講師の目が行き届くので、生徒のレベルに開きがなく経験を積んだ講師が担当するのであれば、効率を落とさず一体感を持った講義をすることができるだろう。
自分の場合、中学受験の塾がそのようなスタイルの成功例だった。
他にもいろいろな形態が今はあって、ネット受講型、ブース型、通信教育、youtuberによるアドバイス…と色々な情報が溢れている中、既存のサービスが生き残るの大変だとつくづく思う。
学校の先生方は、こうした状況をどう見ているのだろう。おそらく受け入れた上で共存を図るというのが一番妥当なところであり、目くじらを立ててもどうにもならない時代の趨勢のようなものなのだろう。
教材制作と教材利用について思うこと。
しばらく、教材制作の仕事をしていた。
今は教える方がメインで、その必要な素材をたまに作ったり、基本的には塾のテキストや市販教材を利用して指導している。
自分でまとめた教材はすべてわかっているので、予習を一からする必要もないし、自分なりの体系化ができるので一番教えやすい。
実際、集団の先生はほとんどが自作のテキストやプリントを利用して講義されているようだ。
ただ、個別指導だと生徒ひとりひとりで状況が違うので、そのひとりひとりに合わせて自作教材を用意しようとするとキリがない。
塾としても、基本となる教材はあっても、そこまで細分化したものを作るのは難しい。
その結果、一番効果的なのは市販教材のマイスターになって、生徒の状況に応じて参考書を紹介・手配することになる。
youtube等で見かける限り、武田塾がやっていることはそういうことだと理解している。
自分の働いているところは、講師の裁量が大きいというか、基本自由なので、色々な指導法の先生がいらっしゃるようだが、ちょっと前にコピーの利用が厳格化されてしまい、かなり対応に苦慮した。
特に過去問の扱いに関しては、今でもかなり不便に感じている。
過去問はネット上などでも閲覧できて、著作物にあたるのだろうかという点、著作物だとして、私的利用は可なのではないかという点、仮に法律的に不可だとして、であれば有効な代替案を示してくれないと、講師の負担増・生徒の満足度低下に直結してしまうのだが…、といったあたりがモヤモヤポイントである。
教材制作に多少なりとも携わっていた身としては、苦労して出来た完成品の購入者が増えれば嬉しいことは言うまでもないが、そうでなくとも使って喜んでくれる人が増えればそれはそれで嬉しいと思ってしまう。ただ、たしかに著作権で守られる法益、コンプライアンスといった観点も重要なのだろう。
個別指導塾という形態の未来について思うこと。
個別指導というスタイルは、10年位前まではあまり一般的ではなかったような気がする。
気がする、というのは自分が受験時代にあまり出会わなかった、友人に通っていた人がいなかった、というだけで何も根拠はないのだが――
個別指導とは、講師:生徒=1:1 or 1:2のものを言い、それ以上(3~10人くらい)であれば少人数指導と呼ばれるので、必然的に収益構造としてはかなりカツカツになる。
授業料から半分は運営に、半分が講師の取り分、経験の浅い講師であれば取り分はもう少し低いだろう。
そうすると、サラリーマンの時給とさほど変わりないかそれ以下になるので、労働時間が確保しにくい性質上、講師の身分としてはかなり厳しいものになる。
そこで、会社を掛け持ちをしたり、集団のクラスと掛け持ちしたり、学校で教えたりと色々と工夫することになるのだが…
自分はまだこの業界に入って間もないので、不満を感じつつも楽しくやらせてもらっているけれど、長年この業界にいる先生は、どう生活を立てていて、たとえば10年15年後も同じ働き方を続けられるのだろうか。
個別指導ゆえのメリットももちろんある。何より生徒との距離が近いこと。ひとり一人としっかりと向き合う上では、これ以上ない環境だろう。それと、専門が持ちにくいという欠点にもなるが、色々な科目を教えられるのは自分にとっては楽しい。
ただ、時給がある程度ないと正直、授業の準備に十分な時間をかけるのは厳しい。精神的にも、肉体的にも。
精神的にというのは純粋に、これ、授業準備の時間もあわせて均したら時給〇〇円だよな…と考えてしまって気力が萎える。
肉体的にというのは、佳境になると月100コマ以上講義をしていたりするので、そもそも万全の準備など望めるはずもなく、最低限の準備でお茶を濁すしかないというのもある。
いずれにしても、結構しんどい割にpayが悪い(加えて生徒側の金銭的負担も重い)ので、あまり個人としても業界としても未来は感じない。
今の2倍か3倍もらえれば、金銭的には不満はないのだが、中学受験の一部と医学部受験の一部以外は無理だろう。そしてそうしたお金持ちの子供だけを教えるというのは何か違う気がしてしまう。
ネットやアプリを利用した個別指導の試みもいろいろと登場している。
ただ、自分がざっと見た限りだとそれほどテクノロジーの恩恵を感じさせる革新的なサービスは出てきていない。
教育制度の改革に左右されるし、少子化傾向、所得水準の低下傾向が続くとすればその影響が直撃する業界でもある。
そうした中で生き残り、そこそこの満足度と安定を手に入れようとすれば、どのような姿勢での努力が必要なのか。
今はまだ目の前の仕事に向き合うくらいしかできていないが、代替わりを迎え時間にゆとりができる2月に備えて、そろそろ考えをまとめていきたいところだ。
ヨーロッパの〇〇性
地中海世界からみれば未開の地であるヨーロッパに存在していた( )性をキリスト教は否定して片隅に追いやるのではなく、それを上手に吸収した。
A後進 B未開 C宗教 D民族 E精神
抜粋なので当然これだけでは正解できないがーー
Bは未開が繰り返しになり日本語として不適。
この部分の前ではハロウィンやイースターがキリスト教に取り入れられたことが言及されており、直観的にEの精神性が答えではないかと感じるが、未開という言葉を重視すればA後進性が正解な気もしてくる。宗教の話を一貫してしていることを思うと、C宗教性なのかもしれないとも、ヨーロッパをひとつの民族ととらえるのは無理があるものの、民族の精神という意味で広くとらえることも可能なのだろうか、等々考えていくと正解がくっきりと見えてくるどころか迷宮に入り込んでしまう。
結局、答えはどれなのだろう。中公新書の原文を見れば早いのだが…
と、解答を調べたところ、どうやら正解はC宗教らしい。根拠となる部分が示されていてたしかに言われればそうかも、と思うが、あまり納得という感じもしない。
キリスト教がヨーロッパ化し、「人々の宗教心に適応」したという記述が根拠ということだが、宗教「心」というのであれば、精神と言っても差し支えない気がしなくもない。
だが、恐らく原文がそうなっているのだろう。答えとしてどちらが本文を根拠にして導きやすいかというと確かに本文で使用されている「宗教」というワードなのだろうとも思う。
ただ、あまり納得はいかないのであるが、これは良問ゆえなのか、悪問ゆえなのか、判断がつかない。
(専修2018)
空欄補充問題の難しさ
現代文の空欄補充問題は、なかなか難しい問題であって、解説者泣かせのものも少なくないと思う。
というのは、まず絶対的な正解として、空欄にする前の作者の言葉選びというものがある。
それが唯一絶対の正解であって、それ以外の答えは許されない。
それでいて、出題者が張り切って微妙な選択肢を作ってしまうと、論理や読解ではどうにもならないように思われるものも出てきてしまう。
出題者の意図を読むことが特に求められる。
逆に言うと、本文中から推測できるものしか原理的には出題されないはずではあるのだが――
正直、この形式は運試しでしかない気もする。語感が発達していれば何となくでも当たってしまうし、しっかりと時間を使って考えても答えが一意に定まらないこともある。
漢文や英語ではそこまで微妙な設問は稀で、単語の意味がわかれば解決の問いがほとんどだが、現代文ではそれでは皆出来てしまうので、一筋縄では解決しない問題が多い。