働きはじめて考えたこと。

受験指導を中心に働きながら、考えたことを書き連ねていきます。

いま大学に行く価値はあるのか。

ちょっと前、大学を無償化するという話があって、大学無償化したらまた大学通おうかな、と軽口をたたいたことがあった。

とは言え、半ば以上本気だった。

どうやら無償化と言いつつ、ストレートの高校生以外は対象外の方向性で進んでいるとか聞いたような気もするが、それはさておき。

今、大学に行く価値はあるのか。

少し考えてみたい。

 

ネット環境の進化とコンテンツの深化に従い、自宅にいながら受けられる教育水準は飛躍的とも爆発的とも、言うもおろかなほど格段に向上し、今なおその最中にある。

高校生を中心に、色々なタイプの生徒たちと触れ合う中で、彼ら彼女らの世界の深さ多彩さに驚くことも少なくない。

特に、オタクと言われるような子の話を聞いていると、感心させられることも多々…

正直、デジタルネイティブでネット空間をフル活用できる子たちは、大学に通わずとも様々な自分の好みの方向性の学びを得ることができる。

それは、大学で受動的に学ぶ内容と比べても、決して引けを取らないだろう。

また、もちろん対面の友人関係の重要性はまったくもって否定するつもりはないが、SNSやコミュニティでの人間関係も今は比較的簡単に作ることができる。

そもそも大学生と仲良くなりたいのであれば、大学のサークルや団体に参加すればいいのであって、「学生」の立場を買う(大学にお金を払って学生証をもらう)必要はない。

そもそも、オタクや蔭キャラの人たちはあまり集団行動が得意ではないことも少なくないので、大学のような大集団に属するよりも、こじんまりとしたところで気のおけない仲間と共にあってこそ力を発揮する。

…と、考えていくと、結局のところ、大学に入学する意味はあまりないのではないか、となってしまう。

勿論、就職のため、世間体のため、親のため、自分のプライドのため、等々入るべき理由もあれこれ思いつくので生徒にはできるだけ行きたい大学に合格してほしいと思うけれど。

大学が就職予備校のようになってしまっている。

という批判を正当なものにするためには、大学固有の価値というものを、大学側がもっと努力して発信していかないと、学生がそうなってしまうのもやむを得ないのではないか。

その一方で、そうした外の素晴らしい世界を作っている核になっているのも、内の人々、すなわち大学に籍を置く研究者たちだったりするのだが…

 

ということで、また大学に行きたいと思うようになった。

大学の今を知りたい。文系を選び、教養時代もあまり真面目に理系に向き合わなかったので、色々と知りたいことがある。今の20歳+-が何を考えているのか知りたい。

 

今の仕事は時代の空気を知る上でいい学びになっている気がするけれど、もっと色々と学びたいし、それは結構、今は今、10年後は10年後で、世界のありかたがどんどん変わっていってしまいそうな中で、大切にすべきことのような気がする。

 

特に具体的な計画はないので、1年後はたぶん別のことを言っていると思うけど、気が変らなかったら、大学(院)にもう一度入学してみよう。

さすがに自力で授業料とか払いたいので、投資とか仕事とか上手く遣り繰りして諸々見通しを立てた上で。

ざっと1000000×4くらいかかって、その間は仕事をセーブする必要があると仮定すると、結構な投資だ。

 

思考と感性と言葉とといったところは、折々考えるところ。

思考(論理)は結構自分が重視しているところで、感性は自分が磨きたいと願っているところで、言葉は自分が感性をすり減らすことなく表現したいと祈っているところのもの。